許斐本家について
以誠売茶
「誠実を以って茶を売る」という当家の信条を重んじ、茶を販売しております。
私どもは九州最古の茶商(茶の品質評価及び仕上製造や産地問屋としての一般流通を担う)として、伝統と歴史を受け継ぎ、良質の八女茶の生産と販売に日夜努力を重ねて参りました。
現在当家の八女茶は、受け継いできた「以誠売茶」の理念のもと先達の知見や昔から取引のある茶園との信頼関係を通して、当家の伝統製法や技術を用いて製造し商品化しております。
近年に開墾された茶園も、八女茶市場において十四代目の目利きを通し荒茶の仕入れを行い製造いたしております。小売販売しております茶葉は1番茶のみを使用し、八女茶本来の味と薫りを皆さまにお愉しみいただけるよう精進しております。
製造過程におきましては、地域環境を考える循環型農業を積極的に推進し、無農薬、減農薬、減化学肥料で栽培された八女茶を取り扱っております。
茶が薬として使用されていた時代を振り返り、身土不二(仏教用語:身と土は切り離せないの意)や医食同源といった伝来の考えをもとに、美しい環境を次世代に繋げたいと思っております。
また行政や各関係機関の指導の元、トレーサビリティ等履歴を整備し、取引農家が使用する農薬等ポジティブリストにて管理しております。八女茶取引市場では残留農薬基準の検査を行っており(※)当家としてもさらなる安全・安心を皆様にお届けできるよう、努力を重ねて参る所存です。
(※八女茶取引市場でのサンプル検査。万が一検出された場合は市場に流通させないよう厳しく管理されています)
十四代目からのご挨拶
当家の先祖は戦国安土桃山期、遠く宗像(九州北部沿岸)の地より、豊臣秀吉の島津征伐(1587年)後、肥前の戦国武将であった筑紫廣門公と上妻郡(現八女市)へ移りました。
筑紫廣門は筑後福島(現八女市福島本町)の平野に草創期の平城と云われる筑後福島城(18,000石)を築きました。しかし1600年関ヶ原戦後、石田三成西軍に付いていた筑紫廣門は領地を召し上げられ、当家の先祖もまた八女の奥地(現八女市矢部村)へ上りました。
その後、太平の世となった江戸時代中期に商人として上妻郡福島町(現八女市福島地区)の商家町へ下り、三世紀あまりの年月が過ぎました。
当家の屋号「矢部屋」は創業からの屋号で、「矢部」とは「八女」の古語(古い呼び名)です。初代 許斐甚四郎が商いを始めた当初から八女の山産物を扱っていた由緒を物語っています。
またその中でも重要なの品目であった「茶」は、当時 薬としても重宝され、四代目 許斐養八は雲山と号し儒医(儒教を治めた医者)となり山産物商と供に生業としておりました。
江戸後期になると欧米列強の国々が茶の争奪に動き出し、清国で起きたアヘン戦争を皮切りに茶が日本の重要な輸出品目となり、幕末八代目 許斐寅五郎の時代に 茶を専業とします。
当時より「以誠賣茶(誠を持って茶を売る)」という理念を掲げてきましたが、幕末以降は地域茶業の量産化や標準化(品質の向上)と向き合い、商いを続けて参りました。
それら先代たちの遺業を振り返り、八女茶に刻まれた歴史を後世へ継ぐ事を、当代の使命として勤めております。喫緊の課題として「八女市指定有形文化財」となっております、江戸期より引き継がれてきた町家(店舖や住居、蔵や茶仕上工場の計7棟)の修理事業に取り組んでいるところで御座いますが、この事業を通じ埋もれていた史料の整理を行い、存在意義や地域にとっての在り方、それらの理解を深め歩んでおります。
八女茶の価値訴求についてはもちろん、将来の人々の為に守り勤めていければと思っております。今後とも皆様何卒御引立ての程宜しくお願い申し上げます。
矢部屋許斐本家十四代目 許斐久吉
八女本店
茶商 矢部屋 許斐本家【八女市指定有形文化財】
〒834-0031 福岡県八女市本町126
電話番号:0120-72-0201
FAX番号:0943-24-2021
メールアドレス:info@konomien.jp
営業時間:9:00~18:00
定休日:毎月奇数日の日曜日(第一日曜日、第三日曜日、第五日曜日)、夏季、年末休業その他臨時休業あり